goo「障害・障碍・しょうがい」に入ったトラックバック先のはてなブックマークにこんなコメントが入りました。
はてなブックマーク > ko-ko-sei nikki 「障害」という言葉について
2006年02月19日 kanimaster 『[障害] S嬢のコメントはなぜこんなに偉そうなんだ?あんた一体何様だよ。ただの親じゃねえか!』
ご立腹ということで、そのことに関して二つの反応が出ています。
と、いうことで、名前が出ている本人からの見解として、ですが。
kanimasterさん、つまりkenさんですが、ありゃりゃ〜もらっちゃったよ的なはてブコメントをいただくことはありますが、明解な理由無く、嫌いというだけでこれだけの怒りをむき出しにする方ではないと、わたしは思っています。つまり必ず、この怒りのコメントにはそれだけの理由がある。
この話題に関して出てきたコメントとしては「当事者ではなく、単なる親ではないか」と、わたしは読みました。つまりこの話題に関して当事者が出してきた文章に対して、当事者ではない人間が出すコメントとしてはあまりに偉そうだ、思い上がるなよ、と。
トラックバックが入った文章では、『害』という漢字について受け取れるもの、が書かれている。そして受容という問題や、コンプレックスという観点にもふれられている。そうしたナーバスな要素のある文章に対して、あまりに乱暴ではないか、ということなんだろうな、と。
つまり、これは「考えろ」というメッセージである。そう、わたしは受け取っています。そしてそのメッセージもしっかり受け取りました。
また、このコメントは、わたしに対しての悪意から発しているものというより、該当記事の管理者に対しての善意が発端になっていることと、解釈しています。
これが結論であり、見解です。