天竺堂さん、朴念仁さん、コメントありがとうございました。gooをほったらかしではてなにこそこそと引っ込んでいる理由は、gooには姑のことを語った記事がいくつかあり、そこには義母が生きているからです。こんなに簡単に死ぬとは思っていなかった自分がそこにいて、そのことに向かい合うことからこそこそと逃げているからです。gooを開くことを怖がるそんな理由が自分の中に見えてきた程度には、日数がたっていることを感じたりします。
「姑の入院」
わたしの義母に対しての思い、義母を失った悲しみの源というのは、この記事に凝縮されているような気がします。この時の入院は、たったの一週間だったのだけれどね。