リツエアクベバ

satomies’s diary

「更新休止」って言ったの、誰だよ

 まだ二日目なの?よくわからない。眠る病人が遺体になっていく早さについていけない。葬儀という世間的なもの、地域の風習、地元の感覚、今までいちいち「これは?」と聞いて頼りにしていた人に聞こうとして気づく。違う、その相手は今回の葬儀の主役じゃないか。喪服は着物を着た方がいいの?洋服でいいの?どっちよ、おかあさん、と言いたいけれど、冷たく固くなっていく遺体は答えるはずが無い。叔母、義姉、義妹と相談して洋服にする。
 火葬場がいっぱいだそうで、最短で31日とのこと。通夜30日、葬儀31日と日程が決まる。落ち着かない子どもたちはこの日まで欠席と学校に連絡。息子の通う小学校の副校長に「学校に来るよりも大事な経験。来られる日まで欠席と判断するので今後の欠席の連絡は不要」と丁寧に話していただき感謝。
 うちは今、九州から駆けつけた義妹の子どもたちが宿泊、合計5名の子どもたちの「合宿所」。昨日は子どもたちもいっしょに納棺。昨夜のメニューは子どもたちといっしょに作るカレー。今日は、棺に入れる「祖母への別れの手紙」を作成する予定。
 ゲームをする、DVDをビデオを流し続ける。儀式の終了までは長い。どこかに連れ出そうかと思うけれど、怖い。31日までは誰もケガをさせられない、風邪も引かせられない、慎重に過ごしたい気持ちが大きい。
 「おばあちゃんが淋しがるから向こうの家に行って来なさい」と言うと、だだーっと駆けていく。線香をあげにくる訪問者がいる前をどどーっと駆けていって、祭壇の前に横並びですとんと座って手を合わせる。移動の行儀の悪さには、みな寛容。
 なんか飲みたーい、はいはい冷蔵庫にジュースがあるよ、お昼なあに?、焼きそばにしようみんなで作ろうか、ああ冷凍庫に鶏肉があったはずだ夕ご飯は唐揚げにしようか。ばたばたと駆けつけた子どもたちの着替えは少ない。がらがらと洗濯機を回す。異常な精神状態でも日常は淡々と流れる。
 昨日はわたしが主宰する地域の障害児対象の音楽療法の活動日、今日はダウン症の赤ちゃんのママに管轄の保健師さんと共にお会いする予定だった。事務的な連絡に電話はつらく、メールは手が妙に震えてうまく打てない。頑張って携帯から「義母逝去、電話ください」とのみ送り、手はずを整える。そんなメールはうまく打てないのに、ああ、こんな文章は打てるのか。自分の場を持つということは自分を助ける機能があるのだな、と、改めて認識。