リツエアクベバ

satomies’s diary

通学路

 おととしのこと、えっと息子は3年生だったかの頃のある日の午後、電話。息子の同級生から。学校の帰りに同級生の数人の子から石を投げられた。息子がそれを黙って見ていた。悲しかった、というもの。
 そうか、そうか、と聞く。息子は友達と遊ぶ約束をしたと支度をしている。聞けばそれは、その彼の話の「石を投げた側」の子どもたち。ふうむ。
 息子と話す。アンタは遊ぶ約束をしてそれは楽しいかもしれない。でも、今日、石を投げられた子の気持ちはどうだ。まあそれなりに原因はあったのかもしれないが、投げた方は数人で、投げられた方は1人だ。そのことについてちょっと考えて欲しいんだ。あの子はずっとずっと今日一日、その気持ちを引きずるんではないか。もしもアンタがそっちの側だったら、アンタはどう思うか。
 で、ものは相談だが、今日はちょっとおかあさんのお願いを聞いてはくれないか。わたしはどうも、今日のあの子の気持ちというものが気になって仕方がない。ここはひとつ、わたしのために今日を使ってくれるとわたしはうれしいんだが、どんなもんだろう。そのためにちょっとつきあってはくれまいか。
 息子はちょっと考える。そして「わかった」と答え、約束をした友達に電話をかけ「都合が悪くなった」と言う。わたしは石を投げられたという子どもに電話し、「遊びに来い」と言う。ちょっと遠くの公園に連れていってやろうと約束する。「妹も連れていっていいか」と聞くので、「おお、連れてこい、連れてこい」と答える。ただし、この公園には車で行くから、親に許可を取ってこいと伝える。
 この子とこの子の妹と、息子とうちの娘という4人の子どもを連れて、車で15分くらいのところにあるでかい公園に連れて行く。大騒ぎのテンションで、やたらに楽しむ。いい年ぶっこいて、わたしも鬼ごっこなんぞに参加する。
 ああ、楽しかった、日常のテンションをぶっ飛ばす。けらけらと笑う4人の子どもたちといっしょにとても楽しかった。
 人間関係やってりゃ、まあ、トラブルもあるだろう、原因になることもその理由なんてのもあるだろう。でもさ、わたしは集団対1人ってのは、とにかく好かん。それに自分の子どもが関わるのも好かん。そしてそのことに対して、説教よりも行動で教えてやりたいと思ったんだよね。