姑が、長男の嫁と娘2人を従えて年末の台所を仕切る。わたしと末の義妹は里芋の皮を剥く。そこに義妹の彼氏から電話が入る。正月に行くと、ご両親にお話ししたいことがあると。舅姑はこれは結婚の話だとばたばたと彼を迎える準備について話す、小さな言い合いをしながら。わたしと末の義妹はそれぞれにそれぞれの理由で、下を向いて黙って里芋の皮を剥き続ける。舅姑がひとしきり話しをしてから姑がわたしたちの剥いた里芋を見て叫ぶ、「まあ、こんなに剥かなくても良かったのに」。
昭和は終わり、平成はもう18年だ。昭和最後の正月を迎えたこの風景の頃てきぱきと台所を仕切っていた姑の元気はもう無い。姑の炊く美味しい赤飯をもう何年も食べていない。姑が器用に作る柏餅もぼた餅ももう何年も食べていない。
4日に義姉、夫、義妹2人と、4人の子どもたちがそれぞれの家族と一緒に実家に集う。姑の姿はそこにはない。
舅は子どもたちが揃ってはしゃぐ。その姿を見ながらわたしは小さな怒りを感じる。見舞を子どもたちに任せてばかりいて、あなたは全然行ってないじゃないか。舅が行けば姑は文句ばかり並べ立てる。でもそれは本当の拒否じゃないんじゃないかとわたしは勝手に解釈する。
本当は、舅がどうのとか姑がどうのとかってことじゃない。わたしが年老いて、もしも1人正月に入院していたとしたら、わたしが不在の家で夫が子どもたちとはしゃぐのかと思ったらなんだか泣けてくるんだ。
わたしが年老いて、もしも1人入院することがあったら、わたしが不在の家ではしゃがないで。病院に来て、わたしの文句や八つ当たりをそうかそうかと聞いてくれなきゃイヤだと夫に言う。言いながらぽろぽろと涙が出る。夫は驚いて、だいじょうぶだから、ちゃんと行くからと、わたしをなだめる。