リツエアクベバ

satomies’s diary

はてブコメントに関しての記事を読んで

 ネガティブなタグを「ギャグで」という感覚を持つのは、誰に対してウケを取ろうとするのかな、と思う。批判を批判として自分の考えとして出すというより、批判を出すときにそれをネタに笑い合う仲間を募ろうという感覚なのかな、と思うというのが漠然とした個人的感想。わたしは基本的につるむのが嫌いなので、よく理解できない。
 ちょっと前に浜田雅功のギャグをはてブのタグにすることに関して、なんて話題があったけれど。このギャグを既知かどうかってとこに関わる、なんていう展開だったんだっけ。わたしは浜田雅功って人、20年近く前でしたっけ、初めてテレビで見たときに怖くて仕方がなかった。な、な、なにあの人?と、なんていうか、チンピラかヤクザかってこう思いっきりその物言いと態度とから出てくるニュアンスに引いた。その物言いと勢いが怖い、怖い。段々見慣れてきて、口調にも言葉にも慣れたし、笑えるってのも段々わかっていったし、キャラも理解するようになったけど、最初本当に怖かった。そうね、出たての頃は本人も力んでいたのか、笑顔一つ見せずただ勢いで押していく感じだったし。力抜いて笑った顔を初めて見たときに、なんかやっとほっとしたんだったなあと思う。あ、この人、常に人を脅したり殴ったりしてるわけではないんだ、って、表現すると変だけど、本当にそう思った時があった。ああそれと、彼と結婚したのがいわゆる友達の友達って関連だったのでワイドショーなんてものを見つつ、ニョーボにぱこんぱこんやられてるのを見て、なんか(ああ、怖くないんだ)とほっとしたようなとこもあった。
 だからわざわざ彼の番組を観ようとは思わないのであの方のギャグといわれても、わたしにはわからない。ギャグだと言われても、言葉だけ取り上げて印象を述べるとすると、あの初めて見たときの「この人怖い」って感覚を思い出してしまうなあ、なんて思ったりしました。視聴率の高い番組で有名なものだからと、全然違う場面で、言葉の持つ本来の意味を超えてそのニュアンスを理解しろと言われても難しいよなあなんって思ったりしたのでした。(言及ではないのでリンク無し)