すでにきをふしに関心をもつひとは、きをふしが文章に書いたものを文字の羅列とその意味だけで読むのはつまらんと思っている。きをふしは言葉を信じながら言葉を信じず、伝わることを期待しながら伝わることを期待しない。その言葉の羅列を観ながら楽しむ術は、すでに文章を読むのではなく文章に書くを感じるという態勢にある。
それでもたまに単に字面だけでなく文章に書くの合間に文章を書くを混ぜるので、イメージの瞑想と文字の意味との追いかけっこをやっているようで、またこれはこれで趣が楽しい。ごめんなさいおねいさん、でもそれはその説明を文章を書くでやっていないだけで、文章に書くでは多岐に応え、いや多岐な応えを見出すことがおもしろく、そこに生まれる臭い匂いを嗅ぎ分け微笑む。
文章を書くと文章に書く、それは人によってまた自然に生まれる方法論が変わり、自分で制御しているようで制御できない味わいがあり、自分で編み出すと思いながら実は自分で制御しきれていない文章に書くが成立しているものはおもしろいと思うのだけれど、どうですか。
- 臭い匂いは「においにおい」と読んでください。