リツエアクベバ

satomies’s diary

銀座で観劇

 昨日は銀座で友人の演出作品を観劇。観劇の作品は「マクベス」。毎度毎度、この友人の演出作品を観て思うことは、彼は女性の腕の動きの演出がうまい。男性と女性とのシーンで、手の動きが語る美しさにやられる。恋愛、慈愛、こうしたものが女性の手の動きににじみ出る。これは小説を読むことでは得られない感覚で、映像になってしまう映画ともちょっと違う。すぐに消えゆく「生」だからこそ、こうしたちょっとした動きのインパクトが強いのかもしれない。こうした要素は演劇というものの表現の強みだとは思うけれど、小説や映画に比べて演劇というものは、料金が高いというのは実感。
 一緒に行ったのは、ドラマのプロデューサーをやっている友人。客席で彼のドラマに出演していた年輩の女優さんと偶然会い、この女優さんが友人に挨拶。わたしはまるで自分まで知り合いであるかのように、この女優さんに「こんにちは」と言ってしまう。いや、顔をちょっとでも知っている人には反射的に挨拶をしてしまうという習慣が出てしまったのだけれど、こっちがテレビで一方的に知っているだけで挨拶をされても相手は困るだろ。しかもプロデューサーの隣にいて、当たり前のように挨拶されたら向こうも困るだろ。と、挨拶してから直後に勝手におたおたしてしまいました。
 結局、わたしが、知人ではなくドラマを観ていて勝手な感覚で挨拶をしてしまいましたと彼女に言い、その後で、友人に「観ていてくれているとわかるのは喜びだろうからいいのではないか」とフォローされる。観劇後、この女優さんとの別れ際に「失礼します」とご挨拶をしたときに、笑顔で見送っていただく。相手の度量の大きさに助けられる。
 ドラマのプロデューサーというイメージは、漫画だのドラマだの映画だの小説だのというもので登場するときはたいがい悪役に近く、ステレオタイプでの印象では、なんだかエラそうでイヤなヤツという感じがするけれど、彼は穏和なタイプでこうしたステレオタイプなイメージとは遠い。この女優さんにも好かれているという感じがよくわかる。この女優さんのオフィシャルページに、彼女が関わったドラマの写真などが出ていて、プロデューサーとしての彼の写真も何枚かアップされているのだけれど、いい感じの笑顔の写真が選ばれていることに感慨。 
 観劇後、夕刻から銀座のライオンで酒。エビスの樽生の中ジョッキ2杯とデカンタで頼んだワインをグラスに4〜5杯。メニューになぜかソフトクリームがあり、それを食って閉める。9時過ぎに帰宅すると、息子がトイザらスのチラシを握り締めて迎えてくれる。酒飲んだ母は甘いというポイントをついてくるため。どうやら「人生ゲーム」を買わされることになりました。