リツエアクベバ

satomies’s diary

土曜日は授業参観

 息子の通う小学校で土曜日に授業参観がありまして。まあ、父親のために(多分)設定した行事のはずなのだが、母親のみの家庭が多かった。5時限全てが参観対象で「来たいときに来る」のではあるのだけれど、「誰が来ていなくても、自分の親が来ていてくれなければ絶対イヤ」の息子。これはもちろん、「姉との公平主義」から来てる「障害児のきょうだい児の心理」なので、とにかくその期待には応えてやろうとするウチは、一日通しでいたぜ。
 まず父親が一時限で参観、わたしが二時限目に交替。娘はこの日、障害児余暇支援事業参加で父親が送り、その後彼は所用を済ませ、学校に戻る段取り。
 不届きなわたしは、参加している数少ない父親を「参観」。かっこいい人もいたが、色褪せたポロシャツの襟を無理やり立てている人はいただけない。30代や40代に、この「色褪せたポロシャツの襟を無理やり立てている人」って多いのよね、自分の20代のセンスを褪せた日常と共に引きずってる感じがするんですけど、わたしは、と、乱暴に思う。
 きれいに髪の毛が無くなった頭で、きらっと光るメガネをかけた、ちょっと強面のオヤジが、綿のセーターをかついで結ぶ。これはこれでかっこいいと思ったのだが、それを友人にささやくと「スーパーのチラシのシニアモデル的」とのたまう。おお、そうか、そういうものか。
 そこに夫、登場。わたし満面の笑みで喜ぶ。人んちのダンナの品定めは、要するに「淋しかった」と自覚。自分の男連れてきてる他人眺めながら、わたし、多分、淋しかったの。息子を満足させる「目的」は、そっちのけか。
 隣にいたこの友人、突然のわたしの「幼児化」にちょっと驚きつつ、「ダンナさん、かっこいいじゃないですか」と。「あったりまえじゃん」と大威張り。いや、客観的に見てなんてどうだっていい、とにかくわたしは淋しかったのだ、他人の男を眺めつつ。んで給食の時間に2人で退座し、近くのイタリアレストランにデートにいきました。