リツエアクベバ

satomies’s diary

続「共同出版/協力出版」というもの

 商品としての本を出したきゃ、自費出版をやってない出版社に原稿を持ち込むことだと思う。プロの編集者が商品として認めるかどうかが、当たり前の登竜門だとわたしは思う。そしてその登竜門をくぐってさえ、在庫を抱えて廃棄される本は山ほどある。
 「共同出版/協力出版」で、自分の本が商品として成立すると思うのなら、積んである本に書籍紹介のポップを出している近場の本屋に行って聞いてみればいい、この原稿は本にしたらお宅におきたいと思うものか否かと。たいがいにおいて、しっかりと現実が見え、自費出版を手がける出版社の「共同出版/協力出版」を誘う「薦め方」に、いかに営業トークが混じっているかはっきりと知るだろうと思う。認められるということに大金を積んで得る「近道」なんか無い、それが現実というものだとわたしは思う。自分の本の行き先をコツコツと自分で探し回らなきゃいけなくなるのなら、大金を積んで近道を得ようとするよりも、妥当な金額で自費出版を選ぶ覚悟の方が潔いとわたしは思う。
 公立図書館の「廃棄本さしあげます」という催しに何度か行ったことがある。山積みの真新しい書籍は自費出版なのか「共同出版/協力出版」本なのか、わたしにはよくわからなかった。ただ、チャンスを求めて公立図書館に寄付されただろうその数種の真新しい本の数々は、一定期間の年数を経ても、ページを開かれたことがないような煤けた新品として投げ出されていた。末路が哀れで何冊か「拾って」帰ったが、残念ながら廃棄にせざるを得ないという域を出るものは何も無かった。得たものは、捨て猫を拾って再度捨て直すような後味の悪さだった。
 20代前半の頃、友人の中に、当時学生だった男の子がいた。彼は自分が書いた小説を何度も大手出版社に持ち込んでいた。彼の小説は認められなかった。でも彼の作品に注目した編集者がいたことが縁で、彼はその大手出版社でバイトを始め、卒業後その会社に就職、編集者として直木賞作家を生み出し、今では日本の出版文化の中で有名な編集者になっている。
*追記:自費出版という名の巨額の道楽について。/日々是自己主張トラックバック