リツエアクベバ

satomies’s diary

新記事:「伝える力」を身につけたい

実はこっちに書き始めたものを持っていった。
こっちでの書き始めは「自分に生まれるリアクションがうまくまとまらない」。
で、はてな記法で箇条書きにしていったら、まとまった。
なんだ、そういうことだったのか、と、自分でも思った。
書かずに終えたことは、「日本語を壊す文章」に関して思うこと。
とりあげたまなめ氏のこの記事のはてブコメントの「がくんと上がる」という表現が気になって仕方がない。
話し言葉で多用される「全然だいじょうぶ」は、自分の中で抵抗が無くなったのだけれど、わたしはいまだに「ら抜き言葉」には敏感だと思う。
会話で出てくる分には容認姿勢は身についたけれど、楽曲の歌詞に出てくると、今でもとてもイヤ。
「全然だいじょうぶ」に代表される「全然+肯定」使用の類に関しては、本来の「全然+否定」の「全然」における「強調」が意味をもっていった例と認識できるのだけれど、「ら抜き」は「日本語の音の美しさが単なる省略によって失われた例」と認識している要素があるんだと思う。
耳に汚い、が、自分の中で中心となる感覚。
ら抜き言葉」を耳にするたびに、「言語は使用者の多数決で決まる」という原則を、自分に対して言い聞かせる。