リツエアクベバ

satomies’s diary

たった1人のために書いた記事

たった1人のために書いた記事をニュースサイトが持っていくってことは、まあ今まであったことだけれど。
「嘘」がはてブやあちこちでリンクされて紹介されていることを知り、びっくり。
なんというか、「たった1人」以外の人にどう評価されたのか評価のポイントがイマイチわからん。
こういうのが知りたいと思うのが、記事リンクにコメントが欲しいと思うところなんだろう。
まあ、主目的は「たった1人」に届けばいいわけだから、それでいいんだけどね。

はてなブックマーク > S嬢のPC日記:「嘘」
2005年09月24日 Erlkonig 『[たいせつなこと]シビれました。京極先生みたい。>笑止。語りたくないことは語らなくていいという自由が人間にはあるのだよ』

「シビれました。」というのは共感、ということなのかな。
「嘘」ということを決定的な悪としてしまうと、時に人間は乗り越えられないことが出てきてしまう。
べらべらと全部しゃべることだけが偉いわけではなくて、自分を支えることがまず最初の「次に始まる」ためのレディネスってことってあるよねって思うのですよね。
自分を守る知恵と巧妙な処世術とは、似ていて非なり。

「嘘」文中
話すことを「迷う」部分を抱えているってこと、相手が全て引き取って救ってくれるわけでもない

このことを理解することは、「迷う部分」を話されて「聞いて受け取る」時の、自分の目標。
「話される内容」よりも、こっちを受け取って欲しい気持ちってものが、まず最初に受けとめなきゃならないもののような気がするから。