リツエアクベバ

satomies’s diary

びっくり

自分が送ったスパム的検索トラックバックに関して送信先で反論のエントリーをあげられた人の、その件についての記事を読んで心底びっくり。
そしてその記事にトラックバックされた、その方の直接の人間関係の方のエントリーを読んでまたびっくり。
状況から見える客観視などとはほど遠く、自分に湧いてくる「感情」中心に論理展開されているもの。
ワード検索で「あの記事」の大量トラックバック送信は、誰が見たって何の関連も無く、閲覧を押しつけるだけのスパムでしょう。
本人がそこが理解できないのは、心底不思議だ。
相手の記事読んでアレなら、相手の記事自体を軽視していると思われたっておかしくない。
「初心者」というより、「相手をどう扱うか」というネット上の先の相手に対しての姿勢の問題なんじゃないかと思ってしまう。
(そういうのって、素質なのかいな。初心者だってやる人とやらん人がいるでしょうよ)
その「この記事とこの記事」の関連のことには全くふれずに、ただ「一生懸命だったの」的姿勢には「あらら〜〜」感が強い。
被害者意識でしょうかねえ。
泣けば勝つようなケンカは子どものやるものだよ。
本当に「そうだったのか」と思うんなら、自省というものがあるんなら、あのエントリーはあげないだろうと思うのはわたしだけでしょうかねえ。
フォローのトラックバック記事も、この人を「知らん」のが当たり前の人に対して言うには無理がある部分が存在。
「知らん人」に安易に送ったのは、そもそも誰なのか、と問いたいよ。

だいたい、心底腹が立ったのは「スパムトラックバック送信」の理由に、「サバイバーのブログだからたくさんの人に見て欲しかった」としたこと。
「サバイバー」が誤解されるようなこと、せんで欲しい。
あのトラックバック記事のどこに、「サバイバーのブログ」の要素があるのか、逆に教えて欲しいわい。
都合よく「サバイバー」という単語を自分に使うのは、他のサバイバーに対して失礼だ。
そう、失礼だよ、まったく。
わたしがブログ関連の記事をやみくもに大量にトラックバック送信して怒られちまったときに、「ダウン症の子の親のブログなんで」と言ったらどうなるでしょうか。
苦笑、失笑を買うだけだと思うのですけどね。
(以上、毒吐き、ガス抜き)