リツエアクベバ

satomies’s diary

割合

なんとなく。コロナ経験者ってどのくらいいるのかなあと思って。

横浜市の昨日までの累計患者数と、横浜市の3月の推定人口から計算してみた。
0.6%くらいだった。1000人に6人か。ダウン症の6倍か、と思う。

だからどうというわけでもないが。1000人に6人の4人が同じ家に住んでるわけで。世帯数で計算すると要はもっと少ないんだろう。
病気が病気なだけに患者は少なくていいんだけれど。でもなんか孤独だよなと思う。

来週の月曜日から娘の通所を再開することになった。職員さんから、シリアスな声で言われたこと。

「久しぶり!」と喜ぶことはできるのだが。「治ってよかったね!」と、みんなで言ってあげることができない。
このことをご本人はどう思うか、心配。

要は事業所の利用者及び利用者家族に「コロナ感染者は出たが、それは誰かを明らかにしていない」から。

難しいところですな、と思う。いろいろな人がいるのだから、それは賢明な判断だと思う。ここに異論はない。
ただ「治ってよかった」と、みんなで言ってあげられない、という話。

ああ、難しいところだなあと、思う。「みんなで」言えば、全員ではないが利用者さんの何人かは家族に言うわな、という話。
センセーショナルな話題になる病気ってことを改めて思う。

ニュースで毎日毎日出てくるけれど、学級閉鎖するインフルエンザ患者に比べると明らかに少ない。そして感染力は強く、死亡者も出る。簡単には言えない病気だと思い知らされる。

まあ、「今日、ちぃちゃんが久しぶりに来た」あたりでもうバレバレだとは思います。それはそれでいい。ただ事業所側としての守秘義務はあるのだろうと思う。

そして「『治ってよかったね』と言えないのだが」に答えたところは。

「治った!」と本人が何度も言っていたのは、退院後の数日。それから二週間経過していて、今は静養期間と本人はとらえているようなので、たぶん「久しぶり!」と喜んでもらうことで本人は満足すると思います。

続けての通所については、まず月曜日が終わったところで考えようということに。家では元気でも集団で疲れるかもだし。どちらにしても、まずは週三あたりからかな。

医療保険とかいろいろ

今日、加入してる医療保険から書類が届いた。

4月28日だったか、4月30日だったか、加入している保険会社に電話した。夫の会社の健康保険組合の「共済」として、通常の保険より少し安く入れるもの。

12月に夫が交通事故に遭ったときに「手術給付金」と「入院給付金」を受け取った。だからちょっと慣れた感じで電話をした。
電話して証券番号を言い、保険の内容を確認。給付金が請求できるということになったら、保険会社から必要書類が送付される。それに必要事項や必要書類を合わせて返送。給付金がこちらが指定する口座に振り込まれる。

12月と違うのは、保険会社勤務の友人から仕入れた知識「コロナの場合は自宅療養期間も『入院』として給付金対象になる」ということ、その確認。

入院したんです、に、先方が「なんで?」と丁寧に聞く。「コロナ」と答えると、ちょっと間があった。この人の周囲にはまだいないのかな。

書類の説明等聞いて、ではとか言おうとするから、「いえ、もうひとり!」と言う。この保険は配偶者も同じ待遇で給付金が出る。
「奥様ですか?」と言いながら、こっちにも「なんで?」と丁寧に聞いてくる。「コロナ!」と言うと、なんかさっきよりはっきりと絶句した。

そんなことがちっともバレてない感じで話し出すけど、バレてるし。ニュースにはガンガン出るけど、実際には遠い。という人はまだまだ多いのだろうと思う。

さてコロナで「自宅療養期間」も入院と認められて給付金の対象になることを確認。
またコロナで医療保険の給付金請求の場合、病院に診断書書いてもらわなくていいんだそうだ。
今、所持している書類で、「自宅療養が開始した期日」と「退院期日」がわかるもののコピーを用意してくださいとのこと。

必要書類

医師の届出に基づく通知書

保健所発行の書類。
初診日、診断日、療養期間の記載がある。
この書類において「自宅療養が開始した期日」、つまり給付金対象の「いつから」がわかる。

入院勧告書

保健所発行の書類。
いつからいつまでの間には、入院してくださいと勧告するもの。
「その病原体を保有しなくなるまでの期間」まで、入院措置が解除されない。保健所が入院しろって言ったし。の書類なので同封することにする。

入院診療計画書

病院発行。病名や診療計画など。
この書類で「入院開始期日」がわかる。

退院療養計画書

病院発行。退院後の治療計画など。
この書類で「退院期日」がわかる。

給付金

給付金の対象になるのは、夫が21日でわたしが19日。なんか「あと1日」とか思う。いや1日でも早く帰りたかったけどね。
ちなみにこの保険は「入院1日につき5000円」です。

その他

周囲何人かに聞かれたのですが。入院費は食費を含めて公費です。自宅療養期間の「配食」も公費。つまり療養期間の食費はかかっていません。

入院中の「レンタル寝巻き」は自費。あと、入院中に病室のテレビや冷蔵庫を使う場合も自費。「テレビと冷蔵庫のセットで1日350円」と言われましたが、使いませんでした。

午前中週三回パートはずっと休み。人不足はわかっていたので、入院対応になった時点で「人の募集をかけるのが賢明。退職でかまわない」と連絡したのですが。
なんだか社内話し合いの上、募集。しかし場所が悪く応募がない、なんとか復帰を、週一からでもみたいな話がきてる。
しかし坂道のある徒歩15分に自信がないし、階段キツいのに3階の更衣室とか無理。早く誰か決まらないかなと思う。困ってる相手に「無理」とか言うの、キャラ的に非常にキツい。

電子なグッズいろいろ

息子さんからプレゼント

去年の誕生日に、息子さんがこれをくれました。

これの赤。非常に気に入っております。しかしなんか去年高いもの買い過ぎた感もあったのか、今年そーっとスルーしようとしたので、「これ、買って!」と言いました。

www.apple.com

「4個ね、4個。4個12800円。おとうさんが1個、アンタに1個、わたしが2個!」

結局三人で盛り上がって刻印をチョイス。アルファベットだと入れられる文字数少ないので絵文字。
刻印申し込んだら、受け取りがずいぶん先になってしまいました。刻印無しだと早いことに気づいたのは発注後。
でも楽しいからよしとする。

最近、欲しいもの

理由、酸素濃度はかれるから

2017年から使ってるのがこれ。

www.amazon.co.jp

安物だがいろいろできる。時計はもちろん電話の着信、アラーム、万歩計などが便利。心拍数や酸素濃度の測定はなし。

ほら、使ってる。あ。点滴の針の写真だった。

ちなみにApple Watchとか、高いスマートウォッチとか買っちゃいけないんだよ。あくまでも「おもちゃ」じゃなくちゃいかん。
夫のご希望で、SEIKOの高いペアウォッチ持ってるからさ!

おまけ「黒いつぶやき」

「感染対策が万全だから、感染者が出ない」とかいう話に、ちょっとへそが曲がる。「感染者が出ないように、感染対策を万全にする」であってほしいと思う。

わたしは。わたしが感染したのは、アンタのミスだからね。と言われている気がするから。
そして、わたしは。どこでわたしはミスしたのだろうか。どこでわたしはミスをして、わたしの体を加害者にしたのだろうか。と、ずっと思っているから。
これがさ。トラウマになるほど辛いところだよなと思う。

5月4日

5月のカレンダーの赤い文字の上で、無理しない中での日常がずいぶん定着してきた。病院にいるより1日が早いねと夫と話す。

12月の交通事故で左足首を骨折した夫は、慎重にした方がいいだろうと運転をやめていた。ここにきて、わたしがかなり慎重に運転しているのを見た夫が「自分の足はそろそろ問題はない。運転するから」と言ってくれて。なんだか急に楽をしている。

手紙の清書

病院の看護師さんたちに書いた手紙。日記で下書きをして、便箋に手書きで清書を始めた。

ちょうどゴールデンウィークに入るので「30日に書いた手紙」の清書を仕上げるのに、充分な時間はあった。いつポストに入れたって、先方に届くのは6日過ぎだし。

今日、挫折した。文字全部、ひとつも間違えずに書くの無理!集中力続かねー!
結局、きれいに書けたのは一枚目のみで、二枚目でちょっと書いて間違えて書き直して、二枚目でなんか「の」と「こ」と間違えて、ぐちゅっと誤魔化して、その後やっぱりなんかぐちゅっと誤魔化して、で、キレた。

手書きで書けって、誰かに言われたわけじゃねーや!かっこつけてんじゃねーよ!

ワードを立ち上げてコピペして、プリンターの設定で用紙のサイズを「ユーザー設定」にして便箋のサイズに合わせて。

きれいじゃん、読みやすいじゃないか!

最後に手書きで、日付と名前を書いた。上出来だ。とっとと切手貼ってポストに入れに行った。


不動産屋

息子が一人暮らしの物件を探しに、不動産屋に行った。アプリで見てばかりで、行け行け早く行けとか言ってた。
年寄りくさい言い方だが、わたしの世代は雑誌買って不動産屋に行って「その物件はもう決まったが、同じ条件だったらこんなところ」みたいなところで。物件も街も、見に行ってなんぼみたいなところがあった。

それがアプリで見てばかり、って、何やってんの。行けよ、行ってこい、みたいな感じだった。

不動産屋も物件も、見に行くことで経験値が上がる。アンタ、ドラクエでいや、街出てねーだよ。はよ行けよ、ヒノキの棒持ってぬののふくでよー。とか言ってた。

いやアプリでお気に入りがどうのとか、昨日お気に入りに入れたものが「掲載終了」。ほら、みんな動いてるんだぜ?

てな感じで、昨日アプリから数件問い合わせのフォームに連絡先書いて送ったら。バンバン不動産屋から電話きてウケる。

今日、帰宅して。不動産屋の話をあれこれ報告する。おう、かわのよろいくらいにはなってんじゃん、とか言いながら、話を聞く。

家族写真

ある日突然、わたしが感染。入院だの重症化の懸念だの、家族が次々に発症だの入院だの、家に残った陰性だったはずの人間も発症だの。

このおそろしいドラマの中で、回復が見えてきたとに、「全部終わったら家族写真を撮るんだ!」と思っていた。勝ったんだ、みたいな写真を撮りたかった。

わたしが育った地元のグループLINEがあり。都会の過疎化で出身小学校が近隣と統合ということで閉校した。その閉校イベントに行って、当時の同級生に再会。そこからグループLINEができた。中学受験をしたわたしは、「よそ者が入れてもらってる」ようなものなんだが。そこにプロのカメラマンがいる。

「コロナだそうだ、ヤバいそうだ、仲間に入れてくれてありがとう」と、このグループLINEにも挨拶に行った。

それからわたしは回復し。死なないらしいとまた挨拶に行った。ここでも「死ぬ死ぬ詐欺」だ。

そして言った。全部終わったら家族写真を撮りたいんだ。プロカメラマン君に外ロケで家族写真撮って欲しいな、高いんだろうな。衣装はチャンピオンTシャツがいいな、勝ったんだとかやりたいな、と、そんなことをしゃべり倒した。

そうしたらプロカメラマン君が「元気だな」と返しながら「シャツのデザインよかったら『片手間に』やるけど」と言ってきた。わたしは彼の写真がすごく好きだったので、彼のセンスへの信頼があった。では依頼したい、コンセプトは「勝利」で頼むと。

てなことで。わたしは回復し、シャツのデザインはどんどん進む。今日、発注した。デザインがかっこよすぎてヤバい!

よく聞く「知り合い割引の要求に飽き飽きしているクリエイター話」がある。彼が言ってくる金額はどう考えてもデザイン料が無いので、きっちりデザイン料を加えて振込完了。ネットで相場をおさえたのだけれど、どうだったんだろう。

見積もり出してという要求に、最初から「業者に払う金額」しか出してこなかった。お見舞い感覚があったのかもしれない。最初から『片手間に』と言ってた。

いやしかし。ちゃんと払うべきだと思ったので自分の思う額を加えて、インターネットバンキングで振り込んだ。彼は「もらいすぎ」だと言い、わたしは「申し訳ない額」だと言った。
まあとにかく、振り込んだもの勝ちなのでこれはオッケー。

いやホント、まじかっけーのよ、シャツ。イラストとかではなく、文字列組んだデザインで。
WON THE VIRUS を中心に、なんだのかんだの英文が小さい文字でびっしりくる。医療従事者に感謝だの、サバイバリングな家族だので、「Jump to tomorrow 」がしめだぜ。ホントかっけー。まあ「おれ、患者だったぜ」シャツではあるんですけどね。だから何?勝ったし。
夫も息子も、かっけーかっけーと驚いてるし、気に入っている。色選びにも熱心だった。

家族写真については、まだ体力無いので先は未定。カメラマン君は非常に魅力的なプランを組んでくれた上で「まだまだ、身体大事に期間の中」といたわってくれる。わたしもまだまだ「県をまたぐ移動をさせる」のが怖い。

いつ撮れるのかわからないが、シャツはそのうち届くらしい、とても楽しみ。

5月ヘナ

日記を確認すると、3月ヘナが3月16日だった。入院したのは4月10日。4月ヘナなどやってる余裕などなかった。タイミング的にも発症日あたりではまだ早い。

入院した日はまだ、自分でトイレに行けた。鏡を見てくっそーと思った。生え際がギリギリのところというか。ここからじわじわと、「はーい白髪でーす」が生え際で元気に育つ。ああ、2週間は入院するのか、イヤだなあと思った。ったく、ババアメンテは早めが勝負だぜ。と思った。

まあ、それから「もうなんでもいいわ、わたしキツイの」になるのですがね。もう頭の生え際が白くなるなど、生きてる証でしかないわな。

退院日には、キリキリと高めに結んでポニーテールにした。分け目をつけないとほんのちょっとだけ誤魔化せる。
あと、高めに結ぶと「マイナス3歳」くらいは大半のオババはいけるというコツをプラス。やっぱり退院は「きれいに」いきたいよね。

という余裕を取り戻すくらいに、気持ちは回復。

さて、5月2日。思いついた日がヘナ日。動ける体を取り戻してきたので、貧乏くさい髪の色ともバイバイです。

5月21日にはなんとしてもきれいにしていたいの。病院の外来に再診に行くから。ま、5月20日に再度ヘナだな。タイミングは早いが仕方がない。

長い髪をヘナ染めし、ヘナの色素が髪に入り、髪がきれいな赤銅色になる。ドライヤーをかけ、色の仕上がりを見ていたら、娘がそわそわし始めた。

娘は「あるけない」と言う。外には「いかない、あるけない」と言う。大好きな通所も「いかない」と言う。
夫と話す。たぶんこの妙なフラフラするような体感が、彼女にもあるんだろう。わたしたちはこれを「後遺症」と解釈し、二か月かそこらはかかるのかもと覚悟しながら、この体感のまま「動ける体を取り戻す」ことを選択した。

それはやっぱり、わからないなりに情報をつかんでいるからだ。娘は情報難民で、「具合が悪ければ休む」を出ないと思う。それならそれでいいと思った、我慢することはない。
ただ、彼女のモチベーションがうまくつかめれば、本人の生活を上げることはできるだろうな、と。思っていた。

その娘が、わたしが髪にドライヤーをかけ。髪の色の仕上がりを鏡で確認し、化粧を始めたら、そわそわそわそわし始めた。

ちょっと気づかないフリをして、買い物リストを「息子と相談しながら」メモったりし。バッグを持ってきたりしていたら、なんか首を伸ばしてわたしと視線を合わせてくる。

「お買い物行くけど、行く?」
「行く!」

夫と娘を車に乗せて、一番近いドラッグストアにお買い物。

ハンドソープの詰め替え、キッチンアルコールの詰め替え、ティッシュ、マスク、トイレットペーパー、牛乳、チーズ、歯ブラシ、ビール!
それからシュークリームやヨーグルト。

心配していた娘が、なんだかすっかりご機嫌になっていたので、ちょっとほっとした。
帰宅後すぐに、三人でパルスオキシメーターの計測タイム。三人とも問題なし。

しかしわたしだけ、やっぱり心臓がバクバクする。心拍数には問題なし。そこまでではないけれど、パニック障害の人の動悸はこういうものかとちょっと思う。

体に異常は見られないのに、症状に異常をきたすことが人間には起きる。
酸素濃度の数値が低くなっても、実際に息苦しさを感じにくいことがあるコロナ。
人間の体とか、ウイルスとか、不思議なものだなと思う。

動ける体を取り戻す

どうしても4月30日までに、銀行に行かなければならない用事があった。まあたいがいのことは、ダメはダメでもそれなりになんとかなるのだが。なんとか30日までに動ける体にはなりたいなあと思っていた。

歩いて数分のポストでも、ゴミ捨てでも、ちょっと歩くと心臓バクバクする。でも、呼吸や体力の不安定さは無くなった。これはアレだな、妊娠中の「歩くのは辛いが車なら行ける」のと似てるなと思って、車で出ることにした。

久しぶりの運転だし、自分の体調が万全ではなく。そしてうちのまわりは道が細いしめちゃ難しい。そろりそろりと出かけてみた。コースもスピードが出る道ではなく、ちょっと遠回りで。

あらま、座ってても心臓はバクバクするのだな、と思った。ので、スーハースーハーの呼吸した。そうやって、車で10分くらいの街へ出た。

銀行はとても混んでいたが、用事のある人は通常の待合のコーナーの外に「列を作って並ぶような」椅子が用意されていて。座って待てるので、ありがたかった。

しかしマスクをきちんとした銀行員が、「そのご用ならここでこうして」などと説明してくれる時に、「近い、近い、顔が近い」と思う。あと「列を作って並ぶような椅子」も、「目の前でどんどんいろんな人が座ったパイプ椅子」に座ることに、ものすごく抵抗があった。

気づいたら、とても神経質になっている自分がいた。お店や銀行のアルコールでは飽き足らず、小さなスプレーを持って使った。

この小さなスプレーは、東京の実家に行き来の時に以前買った。この小さなスプレーをもっともっとちゃんと使っていたなら。あのおそろしいドラマに巻き込まれなかったのか、と、今もふっと思う。

銀行でとても待ちそうだったので、夫と息子にLINEを入れる。銀行はとても混んでいるが座って待てる。帰るのが遅くなりそうだが心配しないで大丈夫と送る。わたしが車で街に出ると言ったら「深窓の令嬢を街に出す」みたいな顔をした男二人に心配をかけさせないようにしなくてはと思う。

銀行で用事を済ませてケーキ屋に行く。「さとみちゃん」で誕生日プレートを書いてもらい、大きな声で「ロウソクは6本」と言う。

移動時の変な体感のまま動くことに慣れて、案外いけるじゃんと思う。看護師さんに礼状を書くための便箋と封筒を買い、いけそうなのでスーパーにも行く。

冷凍餃子、冷凍唐揚げ三種など、自分をラクさせるものをカゴに次々に放り込み、あとは牛肉、豚肉、鶏肉と、肉肉肉。木曜日に生協から基本の野菜がどっさりきてるので肉を買いまくる。

用事を済ませてそろりそろりとまた、車を動かす。「おうちに帰るまでが遠足です」を思い出して、慎重に運転する。よく引き合いに出されるこの言葉は、「生活に役立つ貴重な教え」なのかもしれない。

ただいま!と帰って次々に下ろす荷物を見て、夫が「がんばったねー」と言う。ケーキを見て「すごいね」と言う。

ゴロゴロのカレー肉と野菜でカレーを作り、ネットスーパーで買った「冷凍鶏胸肉2キロ」を低温調理して作っておいた鶏ハムを入れたサラダを作る。

翌日の夕食は「国産牛ハラミ肉味付け」とかいう、安い肉を焼肉のタレに漬け込んだ「焼けば良いやつ」をネギまみれにして焼く。あとは新玉ねぎをグリル焼きにして鶏ハムを混ぜたもの。冷凍庫にあった鯖の南蛮漬け。大根と油揚とエノキの味噌汁。
まだまだ冷凍庫に頼るが、いけるいける。
わたしはゆっくり、動ける体を取り戻す。