リツエアクベバ

satomies’s diary

LINEおしゃべり

今日はわたしは自分の実家の用事で単独外出。夫は舅の病院へ。

娘と息子は留守番。勝手にそれぞれにしたいことをしてるだけなんだが、娘に息子を頼み、息子に娘を頼む。
息子は娘に頼まれることなんかなにもないのだが、とにかく娘は「わたしはお姉さん」なので弟を頼む。誇らしげに頼まれる。まあそういう儀式みたいなもの。

電車の中で、友だちとLINE。娘の学校時代の障害児母仲間の、付き合い続けている数人とのグループLINE。
親を義親を看た、送った、先輩でもある。電車で移動しながら質問をいろいろ。
聞くこと聞いてると、横浜から東京への移動があっという間。

姉に会い、姉に親せきの人と会話したLINEのトークを見せる。オーストラリア在住の姉はwhatsAppを使い、LINEを知らない。
「これなに?」とスタンプを指して言う。「トークを切り上げる時使う」と答える。他の人は知らない。狭い狭い、わたしの周囲のおばちゃんたちは、トークの切り上げによく使う。「またね」とか「いってきます」とか「いってらっしゃい」とか。区切の合図としてわかりやすい。

「whatsAppもスタンプ機能できたよ」と言うと、なにそれ知らないと言う。帰宅してからwhatsAppで姉にスタンプを送る。LINEよりだいぶお粗末。

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再入院

舅が入院中、アンコが食べたい食べたいと言ってた。粒あん。退院の日、リクエストされた粒あんのおはぎをたくさん買った。すぐなくなった。

鯛焼きが食べたい」

おはぎの次は鯛焼きだ、リクエストは。
でも鯛焼きはお預け。具合悪くなってまた入院。

「結局オヤジはアイスまんじゅうは食えたのか?」
「食べてないよ。冷凍庫にそのまま」

この間までいた病室は3人部屋の窓側。今回は、同じ部屋の真ん中。

いつまでもそのままでいられるような感じがしていた魔法はとけた。ゆっくりと時計は動く。

緑のバッグ

今日義妹が来ていた時、引っ張り出して見せたバッグ。

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ほら、見てこれ。うんそう、デパートですみたいな安くないヤツだと思う。いただきものなの、でもね。これいただいたの、26のときなの。
あのさ。26の女の子にこれ、どう思う?

うん。柄も色もきれいだと思うんだけど。どうやっても26の女の子が使うのには無理があった。だからしまいこんでたんだけど。

そそそ、そーなの。今だとさ、これ、違和感なく使える感じなんだよね。若い女の子じゃないからね。こっちがすっかりおばさんになった。このバッグにこっちが追いついてきたんだよね。ぜんぜん変じゃない。

これさ、このバッグね。お宅のおかーさんがわたしにってくれたものなのよね、わたしが26の時に。おかーさんが今のわたしたちくらいの年の時に。
あのさ。最近思うんだけど。このバッグ、おかあさん、自分が欲しかったのかなあって。で、それを息子のヨメさんに買ってあげようとおもったのかなあって。
このバッグ見てるとさ、そんなことを思うんだ。

26の女の子がさ、こんなおばさんバッグ渡されても無理ーって正直おもったんだけどさ。ずっと大事にとっておいたの。そうしたら、なんだかしみじみいろんなこと思うようになったよ。
色、きれいね。大事にするね。

リサイクルショップ

昨日、もろもろいくつも用事をこなすために外出中、リサイクルショップに立ち寄った。Apple関連の中古相場を一通り眺めてから、キッチングッズのコーナーへ。

マイヤー 旧タイプ 電子レンジ圧力鍋 ニューレッド 2.3L MPC-2.3NR

マイヤー 旧タイプ 電子レンジ圧力鍋 ニューレッド 2.3L MPC-2.3NR

箱入りで1980円だった。でもこれ、ねえ。愛用してる人には悪いけど、たいしたもんでもないよ。何年前だったか、娘の母校の学校祭のバザーでほぼ未使用品200円で購入。うちにある。当時4000円くらいでスーパーで売ってた。でも、使っても便利さとかよくわからない。もろもろ比較雑誌の「LDK」で、「シリコンスチーマーとほぼ変わらない性能なのにでかくて不便」とか書いてあった、わかる。
元が高い商品だからなんとなくしまい込んでるけど、いらない。

くるりんアイスクリン S ピンク

くるりんアイスクリン S ピンク

180円だった。箱入り。帰宅して中開けたら未使用品だった。部品がパッキングされたまま。値段シールが何重にもなっていたので、興味津々で一枚ずつ丁寧にはがす。

980円→680円→480円→280円→180円

未使用品だからそこそこの買い取り額だったのかも。ずーっと売れ残ってたのね。昔、まだ10代だった頃にこの手の最初の商品が家にあって、楽しく独り占めしていた頃を思い出して楽しい。
たいした量もできないので「買った方が早い」的に、放り出されてた。で、一人で使ってた。
くるくるとかやるものなんだけれど。キンキンに冷やしたポットに牛乳と砂糖をぶち込んで、そのままスプーン突っ込んでかき回した。かき回しながら、ミルクシャーベットのできかけをちびちび食べる。のです。

早速、使い始めた。楽しい。おいしい。ビバ売れ残り。素晴らしい180円。

フレッシャーズ

エスカレーターに乗ってた。目の前にスーツの男の人がいた。このスーツの男の人、ワンショルダーのバッグをしょっていて。そのワンショルダーのバッグがデニムと合皮のパッチワークのようなデザインだった。

上に進むエスカレーターで、なんとなく前の男の人の背中をそうやって見ていた。バッグはいい感じのデザインだった。いい感じの色合い、いい感じの、でもスーツだよね。お昼近くの時間帯にこんなビジネスとは言い難いようなバッグしょって、どんな仕事なんだろう。就活バッグとかどうしたんだろう。

と、ぽかんと思ってた。思いながらぽかんと見てた。あれ?

お尻のポケットに白い糸でバッテン入ってる。片方のバッテンはほどけていて、もう片方のバッテンはきっちりバッテン、白い糸で。

(あ。これ。しつけ糸だ。おろしたて?のスーツなのか?)

エスカレーターが次のフロアについたとこで、おばはん、にいちゃんに声をかける。
「すみません」。
「はい?」

「あの…、お尻…」

いや、難しいわな。なんつーかな。

「ごめん、ちょっと、こっちの隅に来てくれるかな?」

にいちゃん、誘導。
「お尻のね、ポケット。しつけ糸がついてる。右はとれかかってるけど左はばっちり縫い付けてある。取ったほうがいいと思う」

顔を見ないで一気に言った。にいちゃん、すまん。恥をかかせたいわけではない。むしろ恥をかかせたくない。

にいちゃん「はい」、と答えた。素直な言い方で「はい」、と答えた。かわいいな、ごめんね。おばはん一気に言い終えてすぐ去った。ごめん。

おばはん、にいちゃんのケツとバッグしか覚えてない。もしかしたら大学生なのか?でも入学式はもう終わってるしな。どちらにしても親元は離れたにいちゃんだと思う。かーちゃんはふつう、息子をあのケツじゃ外に出さないね。

どこぞのかーちゃん、お宅のにーちゃんのケツの恥は横浜の端のおばはんがなんとかしたよ。親元離しても心配しないで。世の中はそうやってどうにか動いてるよ。
あのにいちゃんは、見えないとこをきちんと確認するようになるよ、きっとね。もうおばはんに声かけられたりしないようにね、きっとね。

明日はTUTAYA

明日はTUTAYAに行く予定。「CD5枚で千円」利用。
借りる予定の5枚。

www.musicman-net.com

www.jetsetrecords.net

www.hmv.co.jp

rockinon.com

www.oricon.co.jp

バックナンバーの「ベストアルバム」。単なるベストだと思っていたら、この時期のシングル曲は新しいオリジナルアルバムに入らないことに今さら気づきましてレンタルすることに。

TUTAYA行って銀行行って、それから和菓子屋におはぎを買いに行く。明日退院する舅のリクエスト。舅がおはぎおはぎ言っていたので、影響されて、わたしもとにかくおはぎ食べたい。粒あんのやつ。

選挙に行きました

娘の参政権をどうするか。考えていた頃。
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投票に連れて行くのが日常になったこと。
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そして今日、また選挙。選挙戦が始まり、「選挙行く?」と聞くと「いく!」と答える。花見散歩の時、ポスターをゆっくり見せる。

投票のための支援カードを作る。候補者のおおまかな「売り」を抑える。かーちゃんが各候補者にえらく詳しくなりますね。夫に解説できる。

もう何回も娘は投票しており、そこそこ自分たちのやり方が固まってる。それでも毎回緊張する、わたしが。わたしは娘の参政権を奪わないという選択をした。そのために娘に対する支援の仕方を考え出した。それはもうずっと成功している。
でも。それでも毎回緊張する、わたしが。わたしは、世の中が、すこし、やっぱり怖い。

娘は緊張しない。自分の名前が書かれた通知を受付で渡し、名前を確認されて「はい」と答える。そしてもうすでに本人にとって慣れたやり方ですらすらと投票行動を終える。わたしはほっとする。

今日もわたしは緊張した。今日も娘はスムーズだった。今日は選管の人の支援がお願いした時から終わるまで、とてもなめらかな流れだった。終始柔らかな笑顔で、気持ちよかった。こちらは緊張で覚えてないけど、もしかしたら以前もお世話になってるのかもしれない。
20歳から投票始めてもう7年。娘の支援が初めてじゃない人がいても不思議ではない年数だよね。