リツエアクベバ

satomies’s diary

息子とiPhone

息子が中学の頃、高校に入る時に携帯を新しくしてやると約束していた。ネット閲覧を充分できる契約で。高校受験が終わる頃、機器物色のためにわたしは電気屋をうろうろしてた。2010年2月頃。

iPhoneの3GSが2009年の6月に鳴り物入りで出ていた。ソフトバンクiPhoneを契約させたくて、ずいぶん得なプランを出していた。

「iPhone for everybodyキャンペーン」で iPhone 3GS 16GBが実質負担0円に | プレスリリース | ニュース | 企業・IR | ソフトバンク


パケット代の契約をすれば機器代はゼロ円。普通の携帯より料金プランが安い。この頃のフィーチャーフォンはまさにガラパゴス進化が最高潮の頃で高機能携帯の最新機種は高かった。

これはiPhoneで決まりだな、と思った。しかしiPhoneのユーザー自体が少なかったからまだ中学生のiPhoneユーザーなど、周囲じゃ聞いたことがなかった。それでもオマエ、時代はもうこっちだぜ?と思った。アンタにiPhone持たせると宣言したときの息子さん、驚いてコーフンして目を輝かせた。

コーフンするのは当然。iPhone電気屋の店先でキラキラしてるだけのもので、実際に周囲の誰かが所持しているものなんて、息子もわたしも見たことなかった。
目を輝かせてから息子さん、心配そうにわたしに聞いた「高いんじゃない?」。

いや違う。これがな。こっちの方が安いのだ。これで決まりだ、イヤならやめるけど?

で、彼はユーザーになった。15歳。まだ中三。学割も大きくて、月々の支払いは5千円に満たなかった。

「高校生になっちまうまで、友達に言うな、見せるな、持ち歩くな」と言った。中学生でiPhoneユーザーなんていなかったんだ。友達に言えばたぶん騒ぎになる。貸して、見せて、で落としたり画面割ったりしたら大変だ。

同じタイミングで、わたしはiPod touchを買った。正直二人してiPhone、わけわからんだった。iPod touchiPhoneと並べてわたしたちは学習した。この学習は、母のiPadの設定やメンテにも役に立った。

そして高校に入学。iPhone所持は少数で、大半がガラケー。そのうちAndroid所持が出てきたと。そんなことを聞いていたらソフトバンクからキャンペーンの連絡が来た「3GSのユーザーは4Sの機種変で優待する」。残りの残債はチャラにするから機種変してくれ、と。しかも16ギガ機は機器代実質0円で。もちろんすぐ乗っかりで機種変。この子、いろいろタイミング的に運がいい。

SoftBank iPhone 4S の料金プラン。「16GBモデル実質0円、64GBモデル実質880円」3G/3GS無償機種変更ほか! | AppBank – iPhone, スマホのたのしみを見つけよう

そこから2年後。5Sが出た。今まで16ギガで我慢させてきたが、さすがにかわいそうだな。と、思うんだよと、また電気屋をうろうろしていたおばちゃんは電気屋のにーちゃんに言った。「それはね、差額を本人に出させるんですよ」。なるほど。そしてこの後の6Sも同様に「学生時代は親に補助されながら、自分の携帯代は自分でね」体制です。6Sからはau。社会人2年目、今はXS128ギガ。

娘と電子機器

障害をもつ子を育てる。という上で。「電子機器に助けられる」ことを考えていくことは大きいと思う。
平成初期からの、時代として「過去の記録」。自分のために整理。

1.母の携帯電話契約
1998年、娘が学区の小学校の障害児学級に進学。家は学区のはずれ。Googleマップで「1.1キロ 徒歩19分」と出る。遠い。見通しの悪い、信号の無い横断箇所が通学路上にいくつもある。集団登校は無い。通学を送迎しながら、少しずつ本人の力を育てることを考えていく。

1999年。まだ携帯電話の所持率が高くはない頃。PHSの契約をする。次のミッション開始が契約理由。
娘が下校時、『今出た』と担任が通学路上に待機している母に電話をする。
徐々に送迎しない距離を伸ばしていく。

2.位置検索機器の契約
難しい通学路をマスターした小学校を卒業。学区の中学の障害学級の選択もあったが、養護学校中学部に進学。理由は「中学までの徒歩ルートは前より近く簡単になる。せっかく力をつけたのにもったいない」。「乗り換えアリの電車通学を自力で可能にする」目標に向かう。

docomoの携帯電話と、docomoの位置検索機器を契約。
ドコモ、いまどこサービス専用の新端末「P-doco?mini」

一定の期間を経て、キッズケータイに機種変。
ケータイ新製品SHOW CASE NTTドコモ キッズケータイ SA800i


「乗り換えアリの電車通学の完全マスター」に、年単位の時間をかける気満々だったが、入学後の5月の連休後あたりにはあっさりマスターしていた。女の子が母親に突っ張る反抗期の独立心が功を奏したことに。

位置検索機能については、電車の遅延などアクシデントに絶大な効果。また、独立心から「盛大な寄り道」をする時期があり、取っ捕まえるにも絶大な効果。

また、「自分が困ったときには、必ず母親が自分のいるところへ助けに来る」という学習をした。「位置検索」という、娘にとっては魔法のようなシステムを娘は理解はしていない。そうした「魔法」の存在を知っていればそれでいい。何か起きたときに「動かずにそこで待つ」という習慣がついたのは、わたしにとってはありがたい。

3.ソフトバンクのみまもりケータイ
子どもの誘拐事件などで、時代は一気に「子どものためのセキュリティ機器としての携帯電話」に動いていく。販促のために「子ども料金的契約プラン」が次々と出てきて、娘のような「大人の年齢だがキッズケータイ的機器を必要としている」人間がはじかれる。

それまで契約していたdocomoでは、こうした機器に用意されているお得な料金プランは使えず、通常の通信費の障害者割引を使うことになるのだが。それでも子どもより割高。

年齢制限無しのソフトバンク「みまもりケータイ」にチェンジ。
satomies.hatenadiary.com

4.そして次の機器へ
ソフトバンクのセキュリティ強化により「古いシステムを利用しているみまもりケータイの一部の機器が2019年11月末日をもって使用できなくなる」ことに。「あなたの機器はその対象です」という連絡が郵送でくる。

www.softbank.jp

要機種変。選択肢は二つ。
www.softbank.jp

要はガラケータイプとスマホタイプ。位置検索できてわたしと通話が可能ならそれでいいんだが。
ガラケータイプは在庫薄、らしい。
とりあえず様子見。してる間にガラケータイプはなくなるのか?というところ。どうしようかなあ。

ここではたと気付く。過去をまとめて振り返るのは、つくづく意味があるなあと思う。

子ども用の携帯にしたとき。ぱかっとひらいて確認するディスプレイ部分に自作の壁紙を使っていた。細かい文言は、忘れた。「この電話機を持っている子に何か起きていたら、短縮ボタンを押して母に連絡お願いします」的なヤツ。

おお、スマホタイプにするかな!また自作壁紙をつくるかな!

母のiPad

85歳母。現在、母史上3台目のiPadを使用。オーストラリアの姉とSkype。新潟の叔父とメール。横浜のわたしとメール。友達とメール。そしてGoogle先生とけっこうな仲良し。

1台目は初代機。父が要介護認定になったのがキッカケだったか。なかなか外出できない。世界を広げたい、社会とつながっていたい衝動だったという記憶。ヨドバシでソフトバンク契約。だいたいの設定はヨドバシの店員さんがやってくれた。パスワード関連はその時帰国していた姉。

このiPad使用開始、タイミング的に絶好だった。利用にすっかり慣れた頃に3.11が来た。オーストラリアの姉にしてみれば、すぐに安否がわかる魔法の機器だった。

2台目はiPad 3rd。2年経過して機種変しなきゃ損な時期だったから。プラス金額は確か無かった。母自身は面倒がってそのままでいいと言っていたが、母の知人に「替えなきゃ損だ」と急かされて重い腰をあげることに。色は「これしか在庫がない」と、ソフトバンクに気に入らない方を渡されたらしい。設定はわたし。

この時は父はまだ生きてたなあ。そのあと父が死に、死後の事務手続きの検索にこの機器は活躍した。

3台目はiPad Air2。これはソフトバンク契約をやめるため。アップルストアで機器を買ってイオンモバイルで契約。アップルストアで買ったので、名前を刻印。今までRetinaディスプレイを「ぴかぴかなやつ」とたいそう羨ましがっていた。念願の「ぴかぴかディスプレイ」に「きらきらのゴールド」。その喜びを満喫できるようにカバーは透明。ガラスフィルム。

iPad Air2はそのあと出たモデルより軽い。年寄りには軽い方がいい。

イオンモバイルの選択については。安いこと。月によって契約ギガを変えるのが簡単なこと。2年経過。特に問題はなく満足。

料金プラン|業界最安級 イオンの格安スマホ・格安SIM【イオンモバイル】

だいたいいつも1ギガ480円。時々ひと月だけ4ギガ980円にする。4ギガは使いきれないので繰り越し分がしばらく残る。ちなみに今月の残量はさっき調べたら430メガだった。


この間実家に行った時。「メモがわからない」と。メモアプリを開いて「白黒ばっかりで色が出なくなった」。母はメモアプリで絵を描いてた。知らない間にまた、使い方を向上させているなあと思った。「白黒ばっかり」は、ペンの色を白黒設定にスライドしてしまっていたため。カラーが使えるように戻して使い方を教える。

写真アプリにメモアプリで描いた絵がたくさん保存されてた。次の誕生日に、お絵かき用のタッチペンを買うつもり。

テキストサイト時代の文章

パソコン内整理。
すでにたたんだテキストサイトの文章が出てきて再読。しみじみするのでここにコピペ。

リンゴがたくさん落ちた台風が来た年の秋、娘が生まれた。
妊娠二ヶ月の時、「おなかの中ですでに死んでいます」と診断され、掻爬の日程も決まっていた。
生まれるはずのなかった私の赤ちゃん。
産科をかえて、「生きていますよ」と言われて泣いた日を、私は忘れないだろう。

出産場所に助産院を選んで、パパと助産婦さんに取り上げられた私の赤ちゃん。
生まれた直後からずっと一緒だったのにまもなく完全看護の病院に入院してしまった。
ベビーベッドに使えなくなったベビー用品を全ていれ、大きな布を上からかぶせて大声で泣いた。
「私の赤ちゃんをかえして!」

病院で、ダウン症であること、心臓の手術をすることの説明を受けた。
病院の中でひいた風邪から重い肺炎に移行していった。
命が危なくなった。               
ダウン症であることは、もちろんショックだったけれど、 生きて、元気で退院するという将来がいつになるのかわからない状態のころだった。
         
それから半年ほど月日が過ぎて、退院の日を迎えた。
三途の川から引っ張り戻した私の赤ちゃん。

ダウン症と聞いた時、(あのとき掻爬していたら)なんて、もちろんちょっと考えた。
でも、今はこの命がうれしい。

危険の中で、心臓の手術をしたとき、(このまんま悪くなったらこの子を育てなくてよくなるって思ってない?)と、自問自答したりした。
でも、今、娘の命そのものが私の宝物。
         
家で元気に暮らせることを幸せだと今でも折に触れて思います。             
ダウン症だと告げられた時よりも「死んでいます」の方が、何倍もショックだった。
生まれてくれてありがとうと心から思っています。

娘は1991年生まれ。
平成3年台風第19号 - Wikipedia
この文章を書いたのは、確か1999年。

今日のツレ

キュウソネコカミ が好き。
サウンドもボーカルの声も好きなのだが。

若い男の子が思いの丈をひたすら叫んでいるようで、おもしろくて仕方がない。「奨学金に殺されそうだ」(貧困ビジネス)とか「空芯菜!油で炒めただけなのに!空芯菜!1束ぺろっといっちゃうよ」(空芯菜)とか、非常に好き。スーパーで空芯菜を見かけると「1束ぺろっといっちゃうよ」とか呟きながら二束買っちゃうくらい好きだ。

言葉を連打して「しゃべって」くる。そうかそうか、そう思うのかと笑ってしまったり、うなづいてしまったりする。イキのいい男の子を耳で飼っているような、そんな面白さのように思う。

去年の暮れに発売されたアルバム「ギリ平成」を、先日TSUTAYAで借りてきた。今日の夕飯準備はキュウソネコカミと一緒だった。今日のツレ。


キュウソネコカミ - 「馬乗りマウンティング」


キュウソネコカミ - 「越えていけ」MUSIC VIDEO(YouTube ver.)

ギリ平成 (通常盤[CD])(特典はつきません)

旧交を温めたい

昨日の午前中に家の電話が鳴り、わたしがとった。わたしは電話の相手に挨拶をし、夫につないだ。夫がしばらく相手と話し、電話を切った。

わたしが夫に言う。ドヤ顔で言う。「ねえ、ほめて!ほめて!」。

電話の相手は。夫が29だか30だかの頃、一緒に仕事をしていた人。わたしも一緒にお酒を飲んだことがある。独立して友人と事務所を開いた。夫にも声をかけたが、どういう理由か忘れたが断った。それからずっと、年賀状だけの交流。

「お休みのところ、申し訳ありません。わたし◯◯事務所の山田と言いますが‥」

山田でも佐藤でも鈴木でも渡辺でもいい。要するに苗字だけ突然言われてもはて?どこの?となるような苗字。夫の年賀状、目に入るときも見るときも見ないときもある、その程度。しかしこの山田さん、自分の事務所名で年賀状出してた。アルファベットを並べた名前の事務所。

「お休みのところ、申し訳ありません。わたし◯◯事務所の山田と言いますが‥」
「まあ!お久しぶりです! お待ちくださいね!」

要するに、わたしはこれだけでわかっちゃったのだ。◯◯事務所かっとばして「山田さん!」だけで渡された夫の方がわからなかった。しかも声、やたらジジイになってたし。いや、すぐにわかったわたし、とてもエラい!

要件は、酒飲みに行こうよ、という話。選挙か何かの勧誘か、というより仕事の誘いの話のような気もする。いや実に単純に還暦迎えて旧交を温めたくなったのかもしれないが。

旧交かあ。などと思いつつ。今日、娘をお散歩に連れ出した公園で夫に頼む。「ねえ、わたしの写真を撮って欲しい」。

よっちに送るの。よっちの結婚式以来会ってない。もう20数年会ってない。年賀状だけだ。30年ぐらい前によっちのいる職場からわたしが去る時に、よっちが大きなストールを贈ってくれた。わたしたちは20代で「よっち、こんなに高いものはダメだ」とわたしが言った。「だってこれをあげたいんだもの」。

ねえよっち。わたしは30年経ってもまだ使ってるの。よっち、すごいね。全然傷んでないよ。

そんな言葉をいっぱい添えて、写真をよっちに送るんだ。影響されてわたしも旧交を温めたい。
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予報はずれの雪と、息子ネタ

大雪とかの予報でいろいろ準備して。いやだいやだと言いつつ、朝目が覚めたときに耳をすませて「雪の日の朝の静寂」を探す。なにワクワクしてんの?都市部の雪というものは、そういうもの。

朝、降らず。午前中ちょっと降り。積もると見せかけて、やむ。夕刻、降る。今度はいくぜと見せかけて、やむ。変な一日。

雪がどうのと昨日言っていた息子は、会社の同期の仲間たちとアパートで鍋パーティーだと出かけていった。鍋食って雪合戦をするとかしないとか昨日言ってた。雪合戦などできない有様で、ご近所に迷惑をかけなくてよかった。

「会社の同期」とか、なんか笑える。大きくなったもんだ、社会人二年目。はてなダイアリーに過去せっせと書いていた文章を読んでいると思い出アルバム、育児日記だなあと思う。

satomies.hatenadiary.com

さんざん書きまくった息子ネタだが。最近どうも、わたしは彼の会社の同期飲みのネタにされているらしい。LINEで入る息子からの連絡に「いやん」とか返したのが見られたりしたかららしい。

しかしネタ出し勝負では完全にわたしが勝つ。なんせわたしは「おくさんおくさん」ネタがある。無敵。


幼児期の一時期、彼はなんだかお相撲に凝っていて、どすこいどすこい、と言いながら押してくるときがあって。そこで、うんちょっと待って、その「どすこい」ってのを「おくさんおくさん」に変えてみてくれないか、と。息子は大真面目に「おくさんおくさん」と言いながら押し、押し倒してくるわけで。その大真面目に押し倒してくるのに対して、まって、あ、イヤ、そんな、ダメよ、などという、腹の底から笑えるような体験は、絶対に男の子相手でしかできないことだと思う。

https://satomies.hatenadiary.com/entry/20060909/p2